近年高校野球界で最も大躍進を遂げた高校といえば明石商業が挙げられるのではないでしょうか?
公立校にして、甲子園でも数々の強豪に打ち勝ち、2019年のセンバツではベスト4という快挙。
令和を代表する高校になりつつある明石商業。
そして、そんな大躍進する高校を率いるのは名将・狭間善徳監督。
この狭間善徳監督無くしてこの明石商業の大躍進はない。
そう言い切れるほど、大躍進の立役者なのです。
では、そんな狭間善徳監督は一体どのような経歴の持ち主なのでしょうか?
今回は、そんな狭間善徳監督の経歴や野球観についてご紹介したいと思います。
Contents
大躍進する明石商業を率いる名将・狭間善徳監督の経歴

名前:狭間善徳(はざまよしのり)
生年月日:1964年5月12日生まれ
出身地:兵庫県明石市
出身高校:明石南高校
出身大学:日本体育大学
明石市立花園小1年の時、長嶋茂雄さんにあこがれてソフトボールを始める。
明石市立望海中学校から兵庫県立明石南高等学校に進み、日本体育大学で内野手として活躍。
保健体育の教職を取得し、母校の明石南や高砂南でコーチをした後、明徳義塾高(高知)のコーチとして活躍。
1993年から明徳義塾中学軟式野球部の監督として4度の日本一に輝く。
2006年4月に明石市教委職員となり、明石商コーチに就任。翌2007年夏から監督として明石商業を率いる。
↓狭間監督が明石商業に就任した経緯はこちらの記事で詳しくご紹介しています
明徳義塾が狭間監督の野球人生の転機

恩師である馬淵史郎監督との出会い
日本体育大学を卒業し、母校の明石南高、高砂南高でコーチを経験。
その後団体職員をしていた28歳の時。
高知の明徳義塾高校のコーチの話が舞い込んできた狭間監督。
学生寮に住み込み、親代わりになって生徒の面倒を見ながら、コーチとして生活。
その後甲子園の土も踏みました。
そして、その明徳のコーチに就任したと同時に、目標とする人であり、理想の監督像。
そう語る馬淵史郎監督と出会います。

この狭間監督が明石商に着任するまで13年間馬淵監督に師事。
この明徳時代に培った経験が「自分の野球の原点」とまで馬淵監督を敬うほど。
この馬淵監督との出会いが狭間監督の今後の野球人生に非常に大きな影響を与えることとなりました。
馬淵監督から学んだことは「とにかく引き出しが多いという指導の切り口」
「最悪の状態でも、選手が最善を尽くすチーム作り」そう語ります。
──馬淵監督の教えの中で、一番継承したいものは何ですか?
狭間監督「切り口です。ひとつの事をマスターするだけでも、切り口が違えば、表現の違いが出てくるのを見習いたいです。引き出しの数は経験値と探求心、模倣が物語ってくると思います。
──馬淵監督の印象的な言葉はありますか?
狭間監督「『最悪の状態で、最善を尽くす』です。どんな苦しい状況でも、どんな劣勢でも最善を尽くせば、何か突破口があると思っています。本当に苦しくて、負け続けたけれども、『今やらねば、いつやるねん』とずっと言っています。与えられた状況で、最善を尽くそうとすることで得られるのが結果です」
https://topics.smt.docomo.ne.jpより引用
明徳義塾中学の野球部の監督を経験

1993年9月から明徳義塾高校のコーチから明徳義塾中学の野球部監督を務めることになった狭間監督。
全国中学校軟式野球大会で優勝4回、全日本少年軟式野球大会で準優勝2回などの実績を残しました。
中学野球といえど、その指導の本質は同じ。
そんなことを語る狭間監督。
その経験が今の明石商業での高校野球の指導のベースになっているようですね。
──中学野球の経験が、高校野球に活かせる点はどこですか?
狭間監督「監督として、6年間で5度、全国中学校軟式野球大会に出場して、4回の日本一を達成しました。基礎は間違いなく、同じです。『備え』、『間』、『タイミング』、『バランス』の4点は一緒です。この4つを理解して、使えるようにして、応用を利かせていくのは一緒で、変わることはありません」
https://news.biglobe.ne.jp/sports/0327/sgk_190327_4413473005.htmlより引用
また、明徳義塾高校の野球部コーチから中学校の監督を打診された際。
もともと高校野球の監督がやりたかったと語る狭間監督。
その当時はすごく揺れ動くものがあったようです。
実は、30代で中学に専念するよう打診された時、明徳を辞めようかとまで思い詰めました。高校野球の指導者になることが夢だったからです。しかし、大学の野球部の先輩から「辞めるのはいつでもできる。今やれることを精いっぱいやってみろ」と助言され、発奮しました。野球を通じた出会いに何度も支えられてきたように思います。
狭間監督を名将へと育てた馬淵史郎監督から培った野球観

「勝つ確率を1%上げるための」分析力
この明徳義塾時代に馬淵監督から学んだことは、今の狭間監督の野球感を作っている。
そう言っても過言ではありません。
その特徴的なのが「対戦相手を丸裸にする分析力」です。
「負けにくく、勝ちやすいチーム」を作ってきた。
そんなことを語る狭間監督。
その根拠に「勝つ確率を1パーセントでも上げる」徹底した分析です。
兵庫の出場校数は160校を超えるが春季大会の地区大会の時点で、全ブロックに偵察部隊を送り込みビデオは撮影済み。初対戦のチームでも相手のカラーは頭に入れて試合に臨む。
そんな徹底したデータ分析が狭間監督の勝ちにこだわる執念の現れ。
──強豪ひしめく兵庫県で、勝ち続けられる要因は何ですか?
狭間監督「その一つにデータ野球があります。県内の全ての大会、各球場にデータ班を派遣するので、対戦相手となる全てのデータを持っていて、私が分析をした上で戦っています。投手の癖と配球、捕手の動き、打者のタイミングなど全試合を見ます。練習後に、ビデオで2時間を見て、全員でポジショニングを中心に話し合います。一球一球、ポジショニングを変えるので、選手は一球毎に私の方を見ます。うちと試合をすると、こちらが、1、2本ヒットが多く、相手が、1、2本ヒットが少ない試合が多いです。目には見えませんが、細かいところでのデータ分析の差があるおかげで、このような結果になっています」
https://news.biglobe.ne.jp/sports/0327/sgk_190327_4413473005.htmlより引用

空き時間のほぼ全て、どころか時には睡眠時間を削ってでもビデオを見返し対戦相手を隅々まで研究するという狭間監督。
そんな勝つ確率を1%上げるための労力が並大抵のものではありません。
「プレーには必ず根拠、基準がある」そんなことを語る狭間監督。
その言葉の裏には、卓越したデータ分析から導き出された結論。
データに基づいてその時に最良の選択を行なったに過ぎないのです。
昭和の熱血漢な風貌とは裏腹に非常にハイレベルな野球観。
そんな野球感も明徳時代に馬淵監督から受けた教えの一つです。
分析して臨むのが当たり前となり、個人で映像を見て自分が感じたことをミーティングで共有する。狭間監督は、本番だけではなく、「試合前の準備」「試合後の反省」と、それぞれの時間も、大事にしている。それを狭間監督は、「一度に、3回試合をする」と表現している。指揮官の考えが浸透しているからこそ、選手自ら分析するのが当たり前となっている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190811-00010023-hbnippon-baseより引用
誰よりも選手思いの熱血漢な理想の指導者像

狭間監督はこの卓越したデータ分析ばかりが注目されます。
しかし、その「選手の指導力」も非常に定評があります。
打撃練習で不甲斐ない打球が続くと選手からバットを取り上げ、手本を見せる。
真冬で木製バット。
入念な準備で臨んでもつらい状況でもだが、グラウンドコートを投げ捨てて、自ら体を張り手本を見せる。
走塁練習に活気がないと、監督自らヘッドスライディング。泥だらけで走塁の重要性を説く。
ノックで手本を見せるのは日常茶飯事。
キャッチボール、ボール回しなど基礎が甘いと特に時間をかけて指導する。
そんな自らの背中で引っ張る指導は生徒の心を動かす姿勢。
今の時代には非常に珍しい熱血漢な指導を行う狭間監督。
そして、その愛情あふれる指導は馬淵監督の影響が非常に大きいことでしょう。

甲子園に出場した監督を何人も見てが、指導力の点ではやはり馬淵監督が一番長けている。
そんなことを語る狭間監督。
明徳義塾時代、全寮制で、何かあれば、自らの部屋に呼び、一緒に話をして、コミュニケーションを図る。
そんなことも徹底していたという馬淵監督。
そんな馬淵監督の背中を見て同じように指導者としての道を歩んだ狭間監督。
選手と距離が近かった環境で指導者をした経験も今の狭間監督に近い距離で寄り添う指導の原点なのでしょう。
そして、進路指導への目配りも人一倍気遣う狭間監督。
野球だけでなく、進学や就職という「出口」を広げていくのも監督の仕事。
そんなことを、馬淵監督からアドバイスされ実践しています。
そんな人一倍強い責任感と愛情溢れる指導が指導の原点。
これはこの馬淵監督の影響からきているのでしょう。
明石商業 狭間監督から ナインへのメッセージ「お前らありがとうな」#明石商業 pic.twitter.com/DqmGKNmxvX
— Naōakł/なおみょん/なおらー(Lv.15+3)🐶🍟🐯🐨🐼 (@Naoaki0517) 2019年7月29日
また、こちらは2019年夏の甲子園の兵庫県決勝戦後の甲子園を決めたインタビュー。
「お前らありがとうな」そんな言葉をサラッと言える狭間監督。
こんな言葉を選手に素直に伝えれる監督は今の日本にどれだけいるでしょうか。
叱るときは叱る、褒めるときは褒める。
こんな些細な一面からも、狭間監督と選手の信頼関係や統率力が垣間見れます。
卒業した教え子からも慕われる狭間監督の人柄
狭間監督の責任感と愛情溢れる指導。
それは生徒の胸にもしっかり届き、卒業したOBも未だに数多く狭間監督の元を訪れます。
毎年1月3日には20歳を過ぎた野球部の元教え子たちが「狭間監督を囲む会」を続けているようです。
2019年は六つの学年、約90人が杯を重ねました。
「しんどい思いをいっぱいしたからこそ、腹の底から一緒に笑える。一番の楽しみ」
そう語る狭間監督。
「厳しくても選手に慕われ連いてくる」
そんな狭間監督の指導スタイルは理想の指導者像ではないでしょうか。
「狭間監督は怖いか?と聞かれたら、怖いですけど、狭間先生がおっしゃることに、理不尽なことは全くなくて、いくら厳しいことを言われても、どの言葉にも意味があるから素直に受け取れます」
狭間監督は令和を代表する名将になる!

「私は、自分の事では動きませんが、生徒や自分の周りのことになれば、必死で動きます。」
そんなことを語る狭間監督。
そんな強い信念は、野球のみならず指導者が見習うべき真の姿。
指導者の賜物ではないでしょうか。
スポーツという枠組みを超えたこの狭間善徳の人間力。
今の日本人がもっと持つべき姿勢であり、多くのことが学べるように思います。
今後高校野球界を長く牽引していく名将になることは間違いないでしょう。
これからのご活躍も期待しています!
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