八村塁は英語がたった3年でペラペラに!?努力の塊エピソードが泣ける

八村塁 英語

スポンサーリンク
 

日本人として初のNBAドラフト1位指名が確実視される八村塁選手。
そんな八村塁選手ですが、英語はどれくらい話せるのか気になりませんか?

ハーフだけど日本育ちだよね・・・?
でもアメリカで活躍してるってことはある程度話せるのかな・・・?

なんて色々考えてしまいますが、実際のところどれくらい英語を話せるのでしょうか。
今回は、そんな八村塁選手の英語力についてお伝えしていきたいと思います。

スポンサーリンク

渡米3年にしてネイティブ並みに英語がペラペラな八村塁

こちらのインタビューを見て頂きたいのですが、非常に英語がペラペラな八村塁選手。

たった3年で0に近い状態からここまで話せるようになったというのですから非常に驚きですよね。
ちょっとしたジョークまでできるぐらいの英語力。

一体なぜ?ここまで話せるようになったのか?
少し気になりますよね。

そんな八村塁選手の英語学習の背景と過程を詳しくお伝えしていきましょう。

スポンサーリンク

日本生まれの日本育ちで全く英語が話せなかった八村塁

八村塁 英語

父親はベナン人で母親は日本人というハーフという八村塁選手。
そして、見た目も完全に外国人。

これだけ英語が話せたらハーフだからね〜。
なんて結論付けてしまいそうですが・・・

何を隠そう、驚くことに八村塁選手は
何一つ英語が話せる要素がないからです。

確かに、ハーフの人は英語を話せたりバイリンガルだったりもします。
しかし、この八村塁選手に関しては、日本生まれ日本育ち。

日本語しか話せない本当に普通の日本人として育ちました。
なので、ちょっとしたハーフにありがちなアドバンテージすらなかったのです。

八村塁の母親は日本人の美人ママ!?富山で小学校の英語教師もしていた!

2019.05.19

ゴンザガ大入学前にすでに立ちはだかった英語の壁

八村塁 英語

ゴンザガ大入学への高いハードル

八村塁選手は奨学金付きスポーツ推薦を受けることになります。

NCAA(全米大学体育協会)ディビジョン1(いわゆる1部リーグ)の強豪、ゴンザガ大学からです。
(日本の大学野球で例えるなら、東京六大学の早慶からの推薦みたいなイメージ(スケールが全然違いますが….))

そんなディビジョン1の強豪コンザガからの推薦を受けた八村塁選手でしたが・・・
ゴンザガ大学には推薦を受ければ誰でも入学できるというわけではありませんでした。

NCAA(全米大学体育協会)の要求する条件+ゴンザガ大学の要求する条件
この2つの関門をクリアする必要がありました。

NCAA(全米大学体育協会)の基準をクリアするには
GPA(高校の評定平均)とSAT(大学進学適正テスト)この2つの項目

ゴンザガ大学の要求する条件の基準をクリアするには
ESL=「英語を母語としない留学生が英語力を補強するために履修する科目」

これらがクリアできてやっと晴れてゴンザガ大学への進学。
そんな高いハードルがあったのです。

プレップスクールとレッドシャツという選択肢も

八村塁 英語

もし、NCAA(全米大学体育協会)の要求する条件。
GPAとSATがクリアできていてもESLが不十分で大学側が入学の承認をしない場合。

この場合は

①プレップスクールといういわゆる予備校に入学しゴンザガ大学への進学を目指す。

②レッドシャツと呼ばれる、大学へ入学できるけど学業が安定するまで練習生として試合に出ずに部に属す

このような選択肢もあったそうです。
しかし、この2つの方法は遠回りなのは間違いありません。

八村塁選手はプレップスクールでもなく、レッドシャツでもない。
最短距離での入学を目指しました。

しかし、この道は非常に困難で、相当な苦労を要することになりました。

スポンサーリンク

ゴンザガ大学入学に向けての猛勉強

八村塁 英語

高校のバックアップと部員の力を借りて渡米前の半年間で英語の猛勉強

日本の大学と違い、アメリカの大学は9月入学。

部活動を引退してから卒業後の5月の渡米前までの間。
まずはSAT(大学進学適正テスト)の猛勉強を始めました。

そんな時に助けられたのが、明成高校と同校バスケ部が万全のサポート態勢。

八村塁 英語

高校のネイティブ・スピーカーの先生によるマンツーマン指導。
高校卒業後も仙台にある明成バスケ部の寮で生活しながら、高校協力のもと勉強を続けました。

渡米までに受けたSATは5回。

夕方になれば部活動に参加して後輩たちと練習。
そんな中でも1日7~8時間、勉強に費やしたといいます。

 

渡米後も大学側の入学許可を得るためににESLで必死に英語に励む

八村塁 英語

渡米後も入学を確定するために英語の猛勉強に励みました。

大学側が設ける基準に達するために3カ月間ESLに通って英語力を上げる。
油断ができない状態で、入学を目指しました。

また入学が認められた際には授業についていけるようにゴンザガ大学の期待の表れ。
とも言えるチューター(家庭教師)も付けてもらい、英語学習に励む。

そんなバックアップ体制のもとでの英語学習でした。

ゴンザガ大学への入学後に八村塁選手はのちにこう語っています。

八村塁 英語

「この6カ月、本当に本当に勉強しました」
──ここまで達するのに、勉強がすごく大変だったと思うのですが、その手応えは?

八村 はい。すごいです。この6カ月間の勉強が、僕の今までやってきた全部の勉強 に達するくらいなので……。もう、やばいです。本当に、本当にやりました。

──ここからが、また大変ですよね。授業をやりながら練習もやらなくてはいけないので。

八村 はい。もっと大変だと思います。今は実際、ESL(English as a Second Language=第二外国語としての英語)の英語の授業ばかりやっていたんですけれど、(この先は)アンダーグラジュエイト(大学学士過程)の授業も受けないといけないので、もっともっと大変になってくると思うんです。その分、練習とかもあまりできなくて……。僕の授業の都合で、チームが朝練をしてくれたりということもあったので。

 

八村塁がゴンザガ大入学後に直面した英語の壁

 

英語のできなさにどんどん無口になっていく大学入学後

八村塁 英語

そんな努力の甲斐あって無事にゴンザガ大に入学した八村塁選手。

次は実際にネイティブの人とのコミュニケーションという壁にぶつかります。
実際に日本で座学で学んでいたものとは全く違う別物。

その見た目から、平気で英語で喋れるものだと思って話しかけられてもも全く話せない。
そんな戸惑う場面を経験した八村選手はますますストレスが溜まっていくことに・・・

八村塁 英語

大学入学後の1年目はチームメイト達のそばではどんどん無口になっていきました。

大学のチームメイトの選手が、自分の兄の家の夕食に八村選手を招待しましたが、
その間2、3言をブツブツ呟いただけ。

それぐらい英語で話すことに恐怖を感じていたのでしょうね。
「にっこり笑ってうなづくことだけは習得した」そう八村選手は語っています。

英語ができないことによってプレーでも支障ができる

八村塁 英語

自分の才能だけで好きにプレーしていた日本時代。

しかし、大学のバスケットはもっと理論的で高度なものでした。

組織的なアメリカのバスケットボールに適応するにはバスケットの専門用語を理解するのが必須。
しかし、そんな言葉すら理解できない状態でした。

それに加えてプレー中のコミュニケーションの壁
戦術理解やコーチ陣からの指示を理解するのに苦悩する日々。

そんなハンデがプレーを行き詰まらせ、八村塁選手のレベル向上を遅らせました。

八村塁がゴンザガ大入学後に英語を覚えた方法

八村塁 英語

通訳のケン・ナカザワの存在

八村塁選手の英語の上達にはチームメイトとの通訳役。
そんな役割として行動を共にしたケン・ナカザワの存在が欠かせませんでした。

ゴンザガの卒業生で同大大学院生
八村塁選手のチームのビデオ・コーディネーターでもあるケン・ナカザワさん。

そんなケン・ナカザワさんによると八村塁選手の当時の様子がこう語られています。

”彼は練習でコートに居るか、授業で教室にいるか、家庭教師と学習するラボに戻ってくるかだった。
彼はまったく休憩なしだった。

それを全てを通じて、彼はおそらく1年の内、練習以外のトレーニングを5回欠席したくらいだったかな。

最初から、彼は僕のところにやって来て、こう言った。
「日本語を話したくない。全部英語でコミュニケーションしたいんだ。」

僕たちは、日本語を話すことは稀だ。
僕達が軽食を手に持っていても、ただ外をぶらついてるときも、ずっと英語を話しているんだ。”

https://ameblo.jp/caco34/entry-12420662779.htmlより引用

このケン・ナカザワが話し相手になってくれたこと。
そして、チームメイトとの橋渡し的存在になったこと。

そんなケン・ナカザワさんの存在は八村塁選手の英語上達のキーマンだったに違いありません。

Netflixやゲーム

八村塁選手はゴンザガ大で英語のクラスを取っていました。
しかし、英語の上達はラップソングやNetflix、テレビゲームなどなど。

授業以外のことが英語を覚える機会に繋がったと語っています。

特に、Netflixで大好きな番組を見ること。
これは日常のボキャブラリを増やすことに非常に良い学習法になりました。

Vampire Diariesを特に観て学んだみたいでしたね。
字幕をずっと観ていたので、テレビは本当に役立った。そう語っています。

ラップソング

特に、八村塁選手はラップが好きだったよですね。
このラップも英語を覚えるのに非常に役に立ったようです。

21 SAVAGE


Kodak Black

「21 SAVAGE」「Kodak Black」これらのラップの歌手が特にお気に入りのようですね。

ヘッドフォンをしてキャンパスを歩き回ってラッパーの歌詞を叫ぶなど…
逆にネイティブな汚いボキャブラリーが増えすぎて仲間から注意されるほどに…(笑)

ネイティブのアメリカ人と上手くコミュニケーションが取れず無口で静かだった八村塁選手。

そんな八村塁選手の英語力は1年目の終わりにはグングン上達していきました。
英語でふざけあったりジョークを言えるぐらいまでに上達。

コミュニケーションを取れるようになったことでどんどん自信もついていくようになりました。
そして、それがプレーになって現れ、覚醒に繋がっています。

八村塁の英語上達は才能ではなく努力の塊

八村塁 英語

バスケットと語学とその他の勉強を両立させて結果を残している八村塁選手。

それは決して才能ではなく「努力の塊」だと思います。

大抵の人は順応の為のレッドシャツを選択するところを、敢えてのイバラの道を選ぶ。
そんな精神力も一流の証ではないでしょうか。

また、そんな結果は周囲の人の助けがあってこそ成し遂げたことでもあります。
しかし、そんな周囲が助けたくなる人柄も八村塁選手のもう一つの良さでもありますね!

八村塁と激似の弟(阿蓮)がヤバい!兄に負けずバケモノ級の身体能力!

2019.05.20
スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です