山本太郎のメロリンキューとは一体何?その意味や由来を解説【動画】

山本太郎 メロリンキュー

れいわ新選組の代表として活躍する政治家・山本太郎。

そんな山本太郎さんを検索してみると『メロリンキュー』なんていう聞き慣れないワードが出ていますよね。

今回は、そんな山本太郎さんの『メロリンキュー』について詳しくお伝えしたいと思います。

【動画】山本太郎のメロリンキューとは一体何?

『メロリンキュー』とはネタ名

結論からお伝えすると、『メロリンキュー』とは山本太郎さんの持ちギャグの名前です。

パンツ×水泳帽×素肌にローション×胸に「メロリンキュー」の文字をかき、山本太郎が「メロリン・・・」と言いながら両手を「OK」の形にし、胸まで上げ、突然「キュー!!!」と叫びぶというテンション押しの芸。

まさかの元祖裸芸は山本太郎さんだったと言う衝撃の事実(笑)

それに加えてエガちゃんのようなことを本人よりも先にやっていたようで、このままお笑いの道に進んでいたら凄い事になっていたでしょうね!

『元気が出るテレビ』の『ダンス甲子園』に出演

山本太郎 メロリンキュー

山本太郎さんが芸能界をスタートしたきっかけ。

それは1985年〜1996年まで放送されていたビートたけしさんの『元気が出るテレビ』の人気企画だった『ダンス甲子園』への出演。

一般の高校生がダンスをして技を競い合うというものでしたが、その中には明らかにダンスではなくて笑いを取りにきている高校生達もいました。そんな一人が山本太郎さんでした。

この企画のイメージで言うと、学校へ行こうのBラップハイスクール的な企画でしょうか(このたとえも古いですがw)

当時17歳で衝撃の初出演

そんな山本太郎さんの衝撃の初登場は17歳の高校一年生の時。

上の動画は山本太郎さんが衝撃の初出演した時の動画。

実は初登場はメロリンQではなく、ストロベリーQだったんですね。

「アジャコング&戸塚ヨットスクール」という3人組のグループで出演。

山本太郎さん曰く、いたずらをしたら母親に冗談で「戸塚ヨットスクールに入れるぞ!」と言われていたのをなんとなくつけたみたいです(笑)

山本太郎 メロリンキュー

しかも、凄いのが当時17歳の高校1年生だったということ。

17歳で当時からバラエティーのボス的存在のたけしさんに初対面でアドリブコントっていうのがすごすぎます・・・

ほかのダンサー声でてないのに・・・(笑)

その度胸は当時から並々ならぬものを感じさせますね。

山本太郎 メロリンキュー

素人でこの完成度は本当凄いです・・・。

今もそうですがこの時から「見せる」才能がずば抜けていますね。

しかし、この黄色い水泳帽を被った高校生が後に政界入り『れいわ新選組』という政党を立ち上げ、東京都知事選立候補するとは誰も想像したでしょうか・・・

この時たけしさんに、「この人、将来国会議員になるんだよ。」といったら、 「大嘘つくんじゃないよ、馬鹿野郎」と言われることでしょう(笑)

山本太郎 メロリンキュー

余談ですが、この放送がきっかけで学校に苦情が来て退学処分を受けるするハメになったそう(笑)

一躍『ダンス甲子園』の人気人物に

山本太郎 メロリンキュー

ダンスの腕前は全くでしたが笑いのセンスはスバ抜けていて、気がつけばダンス甲子園は山本太郎さんを中心に番組が編集されるようになってました。

山本太郎 メロリンキュー

また、山本太郎さん率いる「アジャコング&戸塚ヨットスクール」彼らの中で1番人気でした。

この両隣のアジャコングが妙な引き立て役で、更に山本太郎さんを面白くしていたのはここだけの話(笑)

山本太郎のメロリンキューの意味や由来は?

山本太郎 メロリンキュー

また、気になる「メロリンキュー」の意味や由来。

これは小学生時代に短期ホームステイ先のフィリピンで食べた「バナナQ」というデザートが由来とのこと。

ただ語呂が悪いと言うことでメロンQになり、メロリンQへと変化したとのこと。

しかし、山本太郎さんのギャグは元々は吉本興業の吉田ヒロさんが作った一発ギャグ、「まゆ毛ボーン」とか「ちちくりマンボ」などを勝手にパクって元気が出るテレビで使っていました。

同じように、山本太郎さんのギャグも意味不明なものばかりで「メロリンキュー」も特に意味は無いようです(笑)

山本太郎がメロリンキューを突如引退した理由

山本太郎 メロリンキュー

また、メロリンキューで一斉を風靡した山本太郎さん。

その後も『メロリンキュー』でますます人気が出て、さらにブレイクしていくのかと思いけりゃ、数カ月後に突然番組への出演を辞めてしまいます。

その当時の心境を後のテリー伊藤さんとの対談でこのように語っています。

テリー どんな考えで人気の舞台から去ったのか、聞いてみたかった。当時、山本さんは山本さんなりの人生設計があったんだと思うんですよ。どんな気持ちだったの?

山本 「ダンス甲子園」での表現を続けるのは無理だと思ったんですね。何か違う方法に変えていかないと、持続は難しいなと感じたんです。

テリー そこで俳優を選んだの?

山本 他にどんなことがあるだろうと思った時に、お笑いに歌や踊り、演技‥‥と考えて。「演技は前もって台本をもらえるらしい」みたいな。ある意味、消去法でしたね。「別に歌もうまくないし」と。

Asageiplusの山本太郎xテリー伊藤対談より引用

このように、あくまでもメロリンキューは芸能界の0から1を作るものに過ぎず、もっと自分を表現できるものを探し、それが後の山本太郎さんの生きる道となった『俳優』だったのですね。

『メロリンキュー』は山本太郎の原点である

山本太郎 メロリンキュー

多くの人は山本太郎さんのこのメロリンキューを「黒歴史」なんて言うことでしょう。

しかし、このメロリンキューがあったからこそ 芸能界に入れて政治家になれたことも事実。

この時代は人を楽しませた。 今は人を助ける。 そんな人との繋がりを保とうとするのは 何も変わってはいないのではないでしょうか。

彼の芸人精神は演説やお話の上手さに時折ひょっこり現れます。そういうとき彼の背後にはメロンキューがいることでしょう。

そんなメロリンキューで培った『ユーモア』『度胸』は今でも政治の世界で活きている事でしょう。

山本太郎の元嫁・割鞘朱璃は元プロサーファー!グラビアに転身しoVにも出演!?

2020.06.23