小池百合子の若い頃が超美人!カイロ大に留学し現地で結婚経験も!?

今やテレビで見ない日はないと言っても過言ではない、東京都知事の小池百合子さん。

そんな彼女をテレビで見ていると、目もパッチリしてて『若い頃は美人そうな顔してるな〜』なんて想像する人は多いはず。

今回は、そんな小池百合子さんの若い頃について本人の経験談と共に詳しくご紹介したいと思います。

スポンサーリンク

小池 百合子のプロフィール

名前:小池 百合子生年月日:1952年7月15日

出身:兵庫県芦屋市生まれ

学歴:関西学院大→カイロ・アメリカン大東洋学科→カイロ大文学部社会学科

経歴:キャスター→参議院議員→衆議院議員→東京都知事

 

昭和51年にカイロ・アメリカン大学東洋学科を卒業。

帰国後はアラビア語の通訳、翻訳をする傍らテレビ・ラジオ番組にアラブ研究家として出演。

その後、国際派ニュースキャスターを経て政治家の道に。

自民党時代には女性初の防衛大臣を務めるなど、政界内での女性の社会的地位の向上に大きく貢献。その後、2016年には女性初の東京都知事に就任。

日本社会に”女性初”を大きく切り開いた人物でもあります。

スポンサーリンク

小池百合子の若い頃①大学時代

カイロ・アメリカン大学に入学

小池百合子 若い頃

小池百合子さんは地元である兵庫県の甲南女子高校卒業後に関西学院大学社会学部に入学するものの、1971年9月に父親の会社の都合で家族が東京都、六本木に引っ越します。

そして、「国際連合の公用語にアラビア語が加わる」旨を伝える新聞記事をきっかけに、アラビア語通訳を志し、それと同時に関西学院大学社会学部を1971年9月の19歳の時に中退。

その後、父親の貿易先でもあったエジプトへ留学し、カイロ市のカイロ・アメリカン大学東洋学科でアラビア語を修めます。

まだ、このときはアラビア語を習いたてで、大学の勉強についていくためにあくまでに語学を学ぶ目的でまずはカイロアメリカン大学で学んだのでしょうね。

小池百合子 若い頃

また、1970年代に海外留学もそれまでメジャーでは内時代に20歳にもならない娘がましてや一人で今でも珍しいエジプトに行くなんて、当時からすると相当珍しい決断だったことでしょう。

しかし、このエジプト留学の決断の背景には父・勇二郎さんの「人のやらないことをやれ。人がやっていることは誰かにまかせておけ」という教えからだそうで、石油などの貿易商を営み、家にもアラブの人が出入りしていたこともあり父・勇二郎さんも大喜びだったそう。

その教え通り、人がやらない道を自ら切り開いた小池百合子さんですが、この教えは社会に出ても、女性初の女性初の防衛大臣を務めたり、女性の初のフリーからのキャスターなど、自らの生きる上での信念となっていることでしょう。

カイロ大学に再入学

小池百合子 若い頃

留学2年目の20歳となった1972年の10月、晴れてエジプトの最高学府であるカイロ大文学部社会学科に入りました。

しかし、1年目は、アラビア文学などの教科で落第したそう。

日本に来た留学生が「古事記」や「万葉集」を学ぶようなもので、アラビア語を習い立ての小池百合子さんにとって、ハードすぎる内容だったのでしょうね。

 カイロ大は学生数が当時約8万人。授業も500人ぐらいの学生で階段教室が満杯です。皆、教授の講義を速記者のようにアラビア文字で書き取ります。聞き取りにも苦労する私は、同級生から借りたノートを写しました。アラビア語の筆記体はわかりにくく、1ページ写すのに何時間もかかります。大変な作業でした。本当に勉強しました。

サンスポより引用

毎日睡眠時間4,5時間で部屋に「寝るな、頑張れ!」という紙を貼り、机の下に水を入れたバケツを置いて、眠くなると足をつけるなど工夫しながら死ぬ気でアラビア語を習得していたそう。

まさに受験勉強をする勢いで当時はアラビア語の習得に励んでいたようですね。

「ジャーヒリーヤ」という古文は、砂漠での心理描写などもあり、チンプンカンプンでした。睡眠も毎日4、5時間。部屋に「寝るな、頑張れ!」という紙を貼り、机の下に水を入れたバケツを置いて、眠くなると足をつけるなど工夫しました。気化熱ですっきりするのです。エアコンはもちろん、扇風機もありませんでしたから。

サンスポより引用

小池百合子 若い頃

また、当時は第4次中東戦争が始まり、エジプトでもその火の気は襲って致そう。

街中も例外ではなく、いつ命が狙われるかも分からない中で生活していたといいます。

隠れるように生活をしたり食料もなく干したナツメヤシの実で3日間しのぐなど、壮絶な体験をしていたと語っています。

この危機管理能力は若い頃の戦争の経験がデカいのかもしれませんね。

街には緊張した空気が張り詰めました。アパートの大家さんが血相を変え駆け込んできて「絵の具で窓を塗って、クモの巣状にテープを貼りなさい」と指示されました。灯火管制と、高射砲の衝撃から窓を守る策です。ベッドを窓から離すようにとも言われました。商店からは食料が消え、干したナツメヤシの実を3日間食べてしのいだこともありました。

サンスポより引用

カイロ大学を卒業(24歳)

小池百合子 若い頃

カイロ大学に移って4年目の1976年10月に最後まで引きずったアラビア文学の追試もクリアし、日本人女性として初めてのカイロ大学卒業が決まりました。

教授から「大学院に残ったらどうか」と勧められたそうで、気持ちは揺れたそうですが、日本では1973年の第1次オイルショック以降、中東分野の専門家が必要とされており、自身の経験を還元するために日本に帰国を決めました。

上の画像は卒業証書の写真。なんというか・・・昭和のアイドル感すごいですね。

大学時代には学生結婚も?

小池百合子 結婚

また、実は小池百合子さんはエジプト留学時代に現地の3つ上の日本人留学生と結婚していたそう。

しかし、実質一緒に暮らしていたのは1年半ほどで3年ほどで分かれてしまったそう。

若気の至りとも言うのでしょうか、それによくある留学マジックで勢いで結婚してしまったのでしょうね。

二十歳のころの貴重な経験。それは結婚でした。私は22歳で、同じカイロ大の日本人留学生で3歳上の男性と結婚しました。

留学中の心細さもあり、とても頼りになる相手でした。結婚生活は長くは続きませんでした。期間は3年ほどだったと思います。実質的に一緒に暮らしたのは1年少々でした。相手が留学半ばでサウジアラビアでの就職を選び、私はカイロでの留学続行を希望したため、離婚へ至りました。

サンスポより引用

スポンサーリンク

小池百合子の若い頃②通訳者時代(24歳〜26歳頃)

 

カダフィ大佐のコーディネーターも

カイロ大学卒業後はアラビア語の通訳として活動

通訳時代には、PLOパレスチナ解放機構のアラファト議長やリビアの狂犬といわれたカダフィ大佐などの会見の時ではコーディ
ネーター兼インタビュアーとして務めました。
小池百合子 若い頃
アラビア語を話せる人は日本でもかなり少数。
だからこそ、大学を出て社会人でも2年目ほどの若者が国のお偉いさんと一緒に仕事ができたのでしょう。
まさに、父親の教えである「人のやらないことをやれ」を地でいった行き方を体現しています。

アラブ研究家としても活躍

小池百合子 若い頃

また、自身の経験を活かしアラブ研究家としても活躍していました。

中東情勢が荒れているなかで、日本人でも唯一と言える中東情勢の貴重な専門家として自らの知識や体験を語りました。

この頃の小池百合子さん・・・めっちゃ綺麗ですね!さぞかしめちゃくちゃモテたことでしょう。

スポンサーリンク

小池百合子の若い頃③アナウンサー時代

 

『世相講談』の アシスタントキャスター(27歳〜33歳)

1979年から1985年は竹村健一の世相講談でアシスタントキャスターを務めました。

元々フリーから出発した女性キャスターとしては草分け的存在であり、女性のキャスター進出を後押しする存在にもなりました。

小池百合子 若い頃

今と比べても当時からその笑顔は変わりませんね〜。

この角度ちょっと優香に似てません?笑

『ワールドビジネスサテライト』の初代メインキャスター(36歳〜)

小池百合子 若い頃

その後、1988年よりテレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスターを務めました。

国際派の女性キャスターとして最も自分が活躍できる場所だったのではないでしょうか。

こちらは当時の映像。

この頃からバリキャリウーマンのオーラが漂いまくってますね!笑

キャスター時代のあだ名は”ヒラメ’’

そんな美人で、知識・経験も豊富で若い頃から一線で活躍していた小池百合子さん。

そのプライドは相当なものだったことでしょう。

それを象徴するように、当時からテレビ局の社長にも可愛がられており、本人も積極的にその人脈作りに励んでいたそう。

「当時の社長が声を掛け他社から連れてきたこともあって、小池さんはかわいがられていました。他のキャスターに比べても特にね。そしてそれを十分理解していたから、社長室へ日参しては、“ゴルフや食事に行きたい!”と“アプローチ”していました」

デイリー新潮より引用

小池百合子 若い頃

しかし、その反面、同僚や部下の人達とは目も合わせないほどのプライドの高さがにじみ出ていたそうで、社内での評判は非常に悪かったようです(汗)

「社長も喜び、色んな席へ連れて行ったんです。それが彼女の人脈づくりに奏功したのは間違いありません。社長だけでなく、報道局長ら上役には猫なで声で近づくのに、同僚や部下とは目線さえ合わさない。だから評判が悪いのなんの」

デイリー新潮より引用

そんな態度もあり、社内でついた異名がヒラメ。つまり、上しか見ていないというわけだそう。

しかし、ある意味そんな気の強い面もあったからこそ政治家とし成功したのかもしれませんね(笑)

スポンサーリンク

小池百合子の若い頃③駆け出し議員時代(40歳〜)

小池百合子 若い頃

野心高く新党に入閣

「政治を変えるには中古車を修理して乗るのではなく新車に乗りたい。」という例えで

アナウンサーを経て、日本新党に入党した小池百合子さん。

その後、自由党や保守党を経て自民党へいき、元内閣総理大臣補佐官そして女性初の防衛大臣も務めました。

小池百合子 若い頃

女性初のフリーからのキャスター、そして女性初の防衛大臣、女性初の東京都知事。

数々の”女性初”を成し遂げるなど、日本社会にも大きな影響を与えました。

女性の特権とも言えるのでしょうか・・・(笑)こんな上目遣いされたらたまりませんね….w

ミニスカ姿も話題に

小池百合子 若い頃 ミニ

また、政治家時代には、女性というだけでなく、そのファッションでも話題になりました。

今のご時世でも政治界に女性を意識した服装は御法度。当時は更にその珍しさでも注目されることとなりました。ある意味そんな”誰もやらない事をやる”という意識はこのような面でも表れていたのかもしれませんね(笑)

小池百合子さんのファッションは、戦略的で硬さとしなやかさを場面場面での立ち位置によって変更したりと計算し

コーディネートをうまく使い分けていらっしゃいます。

ミニスカートや脚を出すファッションも、そういった場所での計算されたコーディネートなのかもしれませんね。

スポンサーリンク

小池百合子の若い頃に関するデマ

小池百合子 若い頃 デマ

また、『小池百合子 若い頃』と検索すると、上の画像が小池百合子さんの若い頃として紹介されています。

しかし、こちらは全くのデマです。

こちらを見て頂ければ分かりますが、こちらは昭和の女優の小林多岐子(ウルトラセブンや東宝特撮に出演)さんという方で、全く別人です。

一体どこからこんなデマが流れたのでしょうか….汗

スポンサーリンク

小池百合子の若い頃のまとめ

小池百合子 若い頃

小池百合子の若い頃を総まとめしてみました。

”違ったことをする”という彼女の信念はきっと多様化する現代社会において、きっとロールモデルになるべき人物ではないでしょうか。

彼女のような若者が日本でもどんどん現れていくと日本の未来も明るいのかもしれませんね!

スポンサーリンク