人気急上昇中の実力派お笑いコンビ・からし蓮根。
M-1グランプリの決勝にも進出し、波に乗ってるコンビですが、一体どんな経歴なのでしょうか?
今回は、そんな気になるからし蓮根の2人のプロフィールや経歴をwikipediaより詳しくまとめてみました!
Contents
人気急上昇中のお笑い芸人コンビからし蓮根
プロフィール

名前:杉本青空(すぎもとそら)
生年月日:1994年02月02日
身長/体重:170cm /70kg
血液型:O型
出身地:熊本県 小国市
学歴:関西国際大学
趣味:三線、サックス
出身/入社/入門:2011年 NSC大阪校 35期生
からし蓮根のツッコミ担当。
その甘いベビーフェイスに多くの女性ファンから人気。
実は既に結婚し、子供も一人います。
詳しくはこちらの記事でご紹介しています↓

名前:松本伊織(まつもといおり)
生年月日:1993年09月12日
身長/体重:187cm /85kg
血液型:A型
出身地:熊本県 熊本市
学歴:履正社医療スポーツ専門学校(中退)
趣味:スポーツ観戦、ラグビー、ピアノ
特技:ホットケーキ作り、大食い
出身/入社/入門:2011年 NSC大阪校 35期生
からし蓮根のボケ担当。
190cm近い大きな身長が特徴的ですが、その体格とは裏腹に、性格は大人しく繊細だそう。
高校時代はその体格を生かしてラグビーをやっており、運動神経も抜群。
熊本弁を使った独特の漫才スタイル

ボケの伊織さんのシュールなボケに、青空さんの哀愁の漂う独特の熊本弁で突っ込むスタイルのからし蓮根の漫才。
過去にはU字工事やカミナリをはじめ、「方言漫才」がブームになりましたが、そんな「方言ブーム」さらに加速させるであろう特徴のあるお笑いスタイル。

2019年には自身初タイトルとなる第8回「ytv漫才新人賞決定戦」で優勝。
その勢いのまま2019年M-1グランプリの決勝に出場するなど、今お笑い界で最も勢いのあるお笑いコンビと言っても過言ではないでしょう。
コンビ名「からし蓮根」の由来はジンクスだった?

「からし蓮根」というちょっと変わったコンビ名。
少し気になるところですが、一体どんな由来なのでしょうか?
その理由はインタビューで語っていましたが、その理由は2つあり「熊本名産物だから」「コンビ名に「ん」がふたつあると売れるというジンクスがあったから」というもの。
大阪に来ても、やはり故郷である熊本は二人にとっては別物なのでしょうね。
熊本に愛着のあるものをあえてコンビ名に付けたり、そういうところからも「熊本愛」が伝わってきますね〜。
ところで、コンビ名の由来は何ですか?
伊織 コンビ名に「ん」がふたつあると売れるというジンクスがあって…。
杉本 いろいろ考えたんですけど、熊本出身ですし、熊本名産物の“からし蓮根”になりました。ちなみに『ハイスクールマンザイ』もコンビ名はからし蓮根で出場しました!
https://www.ch-files.net/karashi/より引用
からし蓮根(芸人)の結成秘話①同じ熊本出身で高校時代に結成

九州学院高校の同級生だった2人
二人の出会いは高校時代。
2人が通っていた高校は熊本の九州学院高校。
甲子園にもよく出場するので野球をやってる人は知っている人は多いでしょうね!
1年生の時に同じクラスになったのを機に、二人は知り合ったそうです。
九州学院は中高一貫校で、伊織さんは中学校からの内部進学で、青空さんは高校からのようです。
また、青空さんは放送部に所属していて、伊織さんはラグビー部の出身だそうです。
青空が伊織を誘いコンビを結成

中学生の時からずっとお笑いが好きで、『M-1グランプリ』を見て自分もお笑いをやりたいと思っていたと語る青空さん。
そんな時、授業が始まる前に伊織さんがベランダで10人くらいに囲まれて、“イロモネア”みたいなネタをさせられていたのを青空さんが見たそう。
そして、伊織さんの一発ギャグを見た時「ヤバイ奴おるな」と伊織さんの面白さに衝撃を受けた青空さん。
その後、青空さんが伊織さんを誘いコンビを結成したそう。
ハイスクール漫才にも出場

2人は2009年の「ハイスクール漫才2009 九州地区大会」に出場し、見事優勝しています。
上の画像は当時の写真。かなり初々しいですね〜。
ちなみにこの大会は九州地区大会ですが、からし蓮根を含め、5組しか出場していませんでした。
とはいえ、伊織さんいわく、この優勝を機に「火がついて、漫才を辞められなくなってしまいました。」こんなことを語っており、当時の2人にはかなり自信になったことでしょうしその後の運命を左右する出来事であったことは間違いないでしょう。
また、高校時代はダイエーのボイラー室の前でネタ合わせをしていたそうで、そんな場所から10年の時を越えM-1の舞台に立つと思うとすごく感慨深いですね。
『ハイスクールマンザイ』に出た時の忘れられないエピソードなどはありますか?
伊織 初めて人前でやったので、ふたりともすごく緊張してしまいまして。僕が持っていた香水の匂いを嗅いだら落ち着くかなと思って、青空に渡したんですよ。なぜか青空はそれを口の中にシュッとして(笑)
杉本 そうそう(笑)。それで大爆笑して緊張がほぐれたね!
伊織 漫才してる時もずっと口から匂いしてて(笑)
https://www.ch-files.net/karashi/より引用
からし蓮根(芸人)の結成秘話②高校卒業後に関西へ

2人とも進学の道へ
高校を卒業した2人。
しかし、そのままNSCへは進まず、青空さんは関西の関西国際大学、伊織さんは履正社医療スポーツ専門学校(その後中退)の道へ進みました。
大学卒業後は絶対に吉本に行くという前提で関西の大学に進んだ青空さん。
しかし、この時は安易に伊織さんに対しては無理に厳しい芸人の道へ誘うことはしませんでした。
こういった部分からもいかに、伊織さんのことを思い、この時青空さんは自分の人生に対して真剣に考えていたことが伺えますね。
しかし、結果的に伊織さんも関西の専門学校に進むことになりました。途中でこの専門学校はしており、やはり伊織さんも芸人の道は諦められなかったのではないでしょうか。
杉本:熊本にいる頃からコンビを組んで漫才をやってたんです。僕は絶対に吉本興業に行くつもりで大学も関西の大学を選んでいました。ただ、ここは人生をかけた話になってくるので伊織に無理強いすることはできなかったんですけど、結果的に伊織も一緒に関西に行くことになり、大阪のNSCに入ったという流れなんです。
https://dogatch.jp/news/ntv/yomitv_65314/detail/より引用
在学中の2011年に大阪吉本のNSCへ

その後、青空さんは大学在学中に、専門学校在学中(後に中退)の伊織さんと共に2011年のNSCの35期生として入学。
当時青空さんと伊織さんはまだ18歳。
NSCの中でも最年少ということになりますね!
ちなみに35期の首席はゆりやんレトリィバァさんだそうで、他にもガンバレルーヤなど、女芸人が売れている代のようですね!
そして、熊本出身ながらNSCも大阪吉本を選んだり理由は『M-1』を目指すためであり、多くのM-1優勝者が大阪吉本出身だったことから大阪しか眼中になかったそうです。
──先ほど伊織さんがおっしゃったように、『M-1』は漫才そのものなんですね。
青空「そうですね。目指す。それしかないです」
伊織「大阪に来た理由も『M-1』でした」
青空「僕たちは熊本なんで、いきなり東京に行くのもありなんですけど、『M-1』を獲りたいと思ったから大阪に来ました。当時はまだ、トレンディエンジェルさんが獲られる前で、優勝した芸人さんは大阪吉本か福岡吉本か他事務所だったんです。で、“これはもう大阪や”となりました」
そして、NSC卒業後もメキメキと実力を発揮し、2015年の初の単独ライブを開催。
上の動画はその時の紹介動画です。当時20歳。
NSCを卒業から3年かからず若干20歳で単独ライブを開催するなど、その実力は早くから開花し、吉本の芸人の中でも有望株としてその名は知られていました。
2013年「ワラチャン! U-20お笑い日本一決定戦 2013」で決勝進出

からし蓮根にとって初めての大きな大会での実績は2013年に行われた、20歳以下のお笑い王者を決める日本テレビの「ワラチャン!U−20お笑い日本一決定戦」での決勝進出。
全国から1278組から選ばれた8組に選ばれました。
この時の優勝はたかまつななさんでしたが、この大会には霜降り明星の粗品さんも出場するなど、かなりハイレベルな大会でした。

その後は2017年にはM-1グランプリ2017 準決勝進出、そして2018年には第39回 ABCお笑いグランプリ 決勝進出
第5回 NHK新人お笑い大賞 本戦出場。
そして、M-1グランプリ2018では準決勝進し予選 10位、敗者復活戦 11位と後一歩のところまできていました。
転機は2019年

そして、転機は2019年。
からし蓮根にとっては大きな飛躍の年になりました。
第4回 上方漫才協会大賞 新人賞ノミネート。第49回 NHK上方漫才コンテスト 本戦進出・第54回 上方漫才大賞 新人賞ノミネート
そして、初のタイトルとなる第8回ytv漫才新人賞決定戦での優勝。
いよいよからし蓮根がブレイク。それを後押しするようにM-1グランプリ2019 決勝進出。
その名を一躍全国に轟かせることになりました。
からし蓮根の活躍は序章に過ぎない

早くからその才能を開花させ、頭角を表してきたからし蓮根の2人。
25歳にしてM-1の決勝を進出するなど、そのキャリアも既に申し分なく、いわば「お笑いエリート」と言えるでしょう。
とはいえ、その活躍は序章に過ぎず、活躍の幅をさらに増やしていくことでしょう。
そしてもっと活躍し、熊本出身ということで、将来的には「第二のくりーむしちゅー」なんて呼ばれる日も来るかも知れませんね。
これからのご活躍を楽しみにしています!
コメントを残す